2003年1月6日、都内・文京区のT大学付属病院へ移植目的で入院。
入院日の朝「Campath−1H」と言う試験的な移植方法に挑むことを決心する。



この日でドナー探しは終了(JMDPで登録後2ヶ月間にHLA一致の32人中、2名の方がDNAタイピングをしてくださったが不適合と報告を受けた)

翌日から地固め2回目開始(この数日後に日本の象徴と呼ばれるお方と、まさか同じ階になろうとは・・・)


2座不一致のドナーである姉の末梢血幹細胞採取の日程が決まる。
姉との体重差が20kg以上もあるので姉は5kg太り、俺は痩せると互いに約束する(姉は約束を果たしたが、俺は約束を果たせなかった、スマン)
無菌治療部の病棟へ移る(血液腫瘍科は14階で明るく快適だったので無菌治療部の5階病棟は暗く眺めも悪いので少しの間不機嫌になる)

血縁ドナーのほとんどの場合は造血幹細胞を末梢血から採取すると説明を聞いた。
G−CSFを600ずつ5日間も皮下注射するらしい、自分はナディアの時でも150しか打たなかったので、その数字を聞いて驚き、「痛いぞー」と姉を脅かしてビビらせるが、姉が逃げたら自分が一番困るのだと気付きゴマをする)

2003年1月24日にドナーのお姉さま入院(ナント、14階の明るいお部屋・・・毎日お見舞いと称して遊びに行く、病室の廊下に出ると5階のナースさん達に「今日も14階ですか?」と言われる)
セキュリティーカードが無くては14階の病棟には入れないので扉の前で警備しているSPさんへ事情を話して時々開けてもらっていたら名前を覚えられてしまった。
その日からG−CSFの投与が始まり、姉の白血球はどんどん増えていった。
初日5,400から6日目は68,400になった(立派な白血病患者だ!)

3日間の採取は輸血部の機械に毎日5時間括られているらしいので両手を縛られた様子をカメラ片手に見学に行った。
不謹慎だと思われただろうか?しかし輸血部の先生方はいたって好意的に記念写真へ入ってくださった、ありがとうございます!



採取1日目は5時間の採取に疲れ果てた様子で主治医と車椅子で病室へ戻ってきたが、造血幹細胞が予定の5分の1(約100万個)しか採れなかった。
家族は皆、焦ったが、姉が一番困惑していた。

母は姉のベツドの横で泣いていた。
2日目、姉は手足の硬直と麻痺で断念。それでも5時間以上掛かってしまった。
身体の血液を入れ替えるがごとくするので、カルシウムが不足して身体が痺れるらしい、途中過呼吸症候群の症状になり意識が薄れるが、造血幹細胞は240万個GET! 残すところ160万個だ、頑張れ〜!!
3日目最終日だ、今日、採取できなくとも明日まで採取を延ばすことはしないと言われる、かなり身体に負担を掛けているのだろう…。
しかしそこは姉の底力だ、細胞数260万個採取と報告を受けた、やったぜ!
初日の100は移植に使わず保存すると説明があった。
これで移植への準備は大きく進んだぞ。
姉は翌日退院、またツマラナイ(14階へ遊びに行けない)日々が始まる。



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